2013年7月8日月曜日

2013年夏アニメ1話雑感

夏アニメが続々と始まって大体出揃った?感じなので簡単に1話のレビューというかなんというか・・・とりあえず1話を見てみたのは17作品です。
〈物語〉シリーズ セカンドシーズン
きんいろモザイク
幻影ヲ駆ケル太陽
犬とハサミは使いよう
戦勇。 第二期
たまゆら~もあぐれっしぶ~
Free!
ローゼンメイデン
恋愛ラボ
帰宅部活動記録
サーバント×サービス
戦姫絶唱シンフォギアG
特例措置団体ステラ女学院高等科C3部
ロウきゅーぶ!SS
ハイスクールD×D NEW
てーきゅう
有頂天家族

以下感想。

【〈物語〉シリーズ セカンドシーズン】
まあ安定のシャフト×西尾維新で特筆することもないでしょう。あ、原作は未読です。ガハラさんってあんなキャラだったっけ?これは1話観る前から視聴確定してました。

【きんいろモザイク】
これはロリぃ!想定外のロリで始まって驚いたけどロリモードは1話だけ、高校生になっちゃうんですねwそれでも可愛いから視聴決定かな?高校生にならないで欲しかったwww

【幻影ヲ駆ケル太陽】
オリジナルアニメ?らしい。よくわからない話だった。キャラデザは好みが分かれそうだけど私は嫌いじゃない。あやねるが声やってる子はいきなり死んじゃってもう出ないの?!オリジナルだしとりあえず3話くらいまでは観る。

【犬とハサミは使いよう】
いまいち…いまいち。なにがって全体的に好みじゃなかった。多分もう観ないです。

【戦勇。 第二期】
あいかわらず勇者の扱いヒドいwwwもちろん視聴確定。短いしね。30分アニメなら迷うところだろうけど一瞬で終わるしwww

【たまゆら~もあぐれっしぶ~】
これも視聴決定してるので。ぽってぽってぽって♪癒されます。1話は主にhitotoseのおさらいだった。2話からの展開に期待。まぁゆるゆるやってくれればそれでいいので。

【Free!】
今季最大の期待作にして最大の不安要素でもある。いきなりの水着エプロン(男)には草不可避www主人公君は常に水着着てるんだね。蒸れそう(汗)氷菓の温泉回といい京アニは男の裸にこだわりを持ってる。男メインだけど女キャラも可愛いし期待。視聴確定だと思う。

【ローゼンメイデン】
1期も2期も観てない原作組です。3期の作画なら観てもいいかなって思った。1話は物語序盤の振り返り。かなり圧縮してたし原作組とか1期2期視聴組にはいらない回だったかも?原作のどこまでやるのか気になる。まかなかった世界だけかな?まいた世界戻るなら観たい。めぐに踏まれるところを是非アニメで!!!でも原作集めてるし別に観なくてもいいかな。悩み中。

【恋愛ラボ】
キルミーが帰ってきた!!?!やすなの声の人だよね。タイトルから想像してたのとは違うギャグ路線で非常に楽しめました。ネットで調べたところによると別に百合アニメってわけじゃないらしい。視聴確定です。

【帰宅部活動記録】
原作もちょっと読んでたのでどんな話かは知ってました。割と自分のツボにはまることも。とくにストーリー性があるわけじゃないから気が向いたときだけ観ればいいかな?

【サーバント×サービス】
まったくノーマークだった作品。予想外に笑えた。でもこれも気が向いたときだけ観ればいい感じのやつだと思いました。

【戦姫絶唱シンフォギアG】
これどうしよう…。1期はなんとなく最後まで観ちゃったけどそこまで夢中になるわけでもなく…。なんというか楽しみ方がわからないアニメ。水樹奈々×日笠陽子のデュエット曲は格好良かった!!今後の視聴は要検討。

【特例措置団体ステラ女学院高等科C3部】
サバゲーって何気に人気あるのか?少女漫画にも女の子がサバゲーするやつあった気が…。小学生のころ私も学校の裏の森でやりました。面白そうなのでとりあえず視聴継続してみます。

【ロウきゅーぶ!SS】
小学生は最高だぜっ!!ってEDwおいwwwEDの衝撃が強すぎて本編の印象があんまりないのですがorz1期が良かっただけに2期に不安が残るかも。スタッフがどこまで自重できるかが鍵。あんまりエロ方面にもってかれてもなあ。これは視聴継続で様子見でしょう。

【ハイスクールD×D NEW】
あいかわらずひどいアニメですねwww地上波で観たらOPから本編、アイキャッチ、EDと規制だらけになるんじゃないか?ただのエロアニメと思いきや意外と熱い展開とかあったりするのは1期観てわかってるので今後も視聴したいと思います。

【てーきゅう】
13話になってたし分割2期で新アニメ扱いではないのかな?声優ってすごいですよね。これは短いので空き時間にぱぱっと観て笑える良作です。

【有頂天家族】
森見登美彦原作なので安心感はある。原作は未読。提供が京都南座でビビるw弁天の声は能登さんですね、能登かわいいよ能登~。しばらく観続けてみる感じです。

と、こんな感じに簡単レビューをしてみました。ロボアニメが3作あってそれぞれ楽しめた春から打って変わって今季は日常系アニメが多い印象ですね。ただまあ、なんだかんだいって夏も楽しめそうで何よりです。

2013年7月7日日曜日

村上春樹の魔力

  今更ですがこの春、村上春樹の新作長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が発売されましたね。まあ私は読んでないんですけど…。もっと市場が落ち着いて本屋の平積みが無くなったら読もうかなって。この間本屋でもう書評本が出てるのを見てちょっとげんなりしたのはここだけの話です。

  さて今回は、世間が新作で賑わってる間にいくつか春樹作品を読み返してみたので、、、ちょっと村上春樹作品の魅力について語ってみようと思います。とは言うもののそんなにたくさんは読んでません。特に村上春樹が好きなわけではないのであしからず。ちなみに読んだことがあるのは初期三部作と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、あとは短篇がいくつかって感じです。見事に初期作品に偏ってますね。

  そんな私が考える村上春樹の魅力ですが、はっきり言ってよくわかんないです(笑)強いて言えば空気感というのでしょうか?文章自体はどことなく翻訳小説チックなところがあって個人的にそこまで好きではないです。読み易いけど…。内容に関してはよく言われてることですが、、、男がいて女と会って酒飲んでセックスしてうんちゃらかんちゃら、、、基本構造はこうですよねえ。深く読み込んでいけば違うのかもしれませんが、村上春樹を買ってる人100人いたら98人くらいは深くなんて読まないでしょうし。(言い過ぎかな?でも普段本なんてまるで読まない人が話題だからって買ってるんだろうな。じゃなきゃあそこまで売れないよね。)そんな春樹作品について面白い評があったのでご紹介。渡辺直己さんという方による村上龍の『五分後の世界』の幻冬舎文庫解説です。長いですが以下引用、、、

  一般に「文学」と呼ばれている作品には、読者とのかかわりにおいて、基本的に二種類のものがあるとおもっている。
  まず決して読者の主体を侵すことのない作品というものがある。読者は、それを読んだ後でみずから変わろうとはせぬし、彼らはむしろ、いっこうに変わりようのない自己の輪郭をそのつど、心地よく確かめるためにその本を好んで手にするのだ。たんに楽しませ、慰め、励まし、教えるだけでなく、それらは、時として驚かせ、混乱させ、おびえさせるかもしれない。だが、そのすべてが結局のところ、読者を安心させることを本質とする作品というものがあり、わたしはこれを「読物」と読んでいる。たとえどれほど悲惨なこと異様なことが描かれていようが、「読物」はたえず、変わらぬことの愉悦とともにある。ちょうど、適度な負荷が筋肉を鍛えるように、その悲惨さ、その異様さ、その驚きおびえは、読者に対して、彼らの主体の既知の輪郭をいっそう強固なものとする恰好の刺激たりうるように調整されてあるからだ。そうした調整ぶりに抜群の手腕を示すという意味で、たとえば村上春樹はたぶん、現代最高の「読物」作家であるはずだが、『ノルウェーの森』や『ねじまき鳥クロニクル』に深く魅了されたあなたはしかし、その後で、いままでとは何かまったく別のことをしようと欲したろうか?

  この解説は続いて「読物」の対極にあるものとして、読者の生の遠近法そのものを変えてしまう力のある作品を「小説」と呼び村上龍は「小説」家だとする。もちろんこれは村上龍作品の解説として書かれたものなのでハルキストからは批判もありそうだが、私的にはなるほどと思った。それにこう考えると世間でやたらと春樹作品が読まれているのも納得できる気がする。

  現代人はみんな自己肯定を欲しているのだ。革命とか戦争で世界を変えられる時代は終わった。民主主義や平和主義は絶望だと思う。倒すべき敵は不特定多数の大衆となり、選挙では根本的な変革は望めない。そして戦争は戦争というだけで否定される。これまで人類が作り上げきた中で、最も転覆させにくい社会システムが出来上がってしまっている。それでも学生運動なんかをやっていた世代はまだ、自分たちの力で何かを変えられると信じていたのかもしれない。そういうのが終わって、私たちの世代は結局世界は変えられないと悟ってしまった。変えられないなら肯定するしかない。ふがいない自分を。やるせない世界を。

  そうした自己肯定感こそが、私が村上春樹の魅力だと言った空気感の正体なのかもしれない。深く読み込まなくても、普段本なんか読まない人にも感じられるように空気感として感じられる自己肯定感。魅力というか魔力的ですよね。春樹作品は不思議と何回も読み返したくなるのもそういう理由?個人的に村上龍のほうが好きだけど龍のほうは何回も読もうとはなかなか思えないもん、疲れちゃうから。

2013年5月29日水曜日

Opera Next 15

当方、数年前からパソコンのブラウザではOperaを愛用しています。

Opera最強伝説(笑)とかネタにされることも多いこのブラウザですが、「実際使ってみてから言えっ!!」と。某狐さんやG○○leでできることがOperaではできないなんて話も聞きますが、opera:configと.iniファイル弄れks、内部アクションでggrksとかとか。いろいろ弄れるようになるとこれほど素晴らしいブラウザは他にないと思うわけです。スキンも設定ファイルいじると幅とか変えれて自分好みのものが作れますし、ブラウザの速度比較とかありますけど、描画スピードは最近のブラウザはどれも速くてあまり気になりません。それよりもマウスジェスチャやキーボードショートカット、コンテキストメニューなどを自在に弄って操作性を上げたほうがストレスの低減になる気がする。

そんなOperaですが時代の流れなのか、これまで採用していた独自レンダリングエンジンPrestoを見限り、Googleが開発しているBlink(Webkitからの派生?)に変更することになったらしい。そして遂に開発評価版Opera Next 15が公開された。レンダリングエンジンというブラウザの根幹部分の変更なだけに従来のOperaから様々な変更があるだろうことは明白です。ではいざインストールしてみます(ドキドキ)

……
………
…………
……………orz.

目を疑いました。もはや絶句です(爆) Operaから良いところを根こそぎ無くしてChromeに限りなく近づけた感じとでもいうのでしょうか。良く言えばシンプル(笑)
もちろんChromeをバカにしているわけではありません。Chromeはシンプルさと高速性が売りの素晴らしいブラウザです。それはそれで良い。だがしかーし、それはOperaがこれまで求めてきたものではないだろうと。Operaの良さはそのカスタマイズ性の高さにあったわけです。GUIの整った設定に加えて裏設定扱いのopera:config、さらに.iniファイルの編集によって隅から隅まで手を加えることができるのがOperaの売りだったのではないのか?

と全体的にかなりの衝撃を受けたのですが、その中でも特に気になったのをいくつか紹介してみたいと思います。(黒ボッチが問題点、矢印が軽い感想になりますね)

・サイドバー(ブックマーク含む)が無い
  →Operaのサイドバーにはメモ機能とかもあって便利だったのに…
・ブラウザとメール機能が分離
  →一体化してることに意味があったと思うのは自分だけ?
・設定項目の少なさ
  →ついでにopera:configも無い。
・タブの縦置きができない
  →これは困る。タブ30個くらい開く身としてこれは困る。
・MDIじゃなくなった
  →タスクマネージャー見るとopera.exeがいっぱい。気持ち悪い。
・urlfilter.iniが無い
  →根本から広告ブロックできる優れものだったのに...
・OperaDragonflyが無い
  →urlfilterで消しきれない広告をusercssで隠すのに使ってたorz

結構いっぱいあった(笑) まあ、こんな感じです。もちろん今回のOpera Next 15は開発・評価版ということでこれから機能の追加もあるだろうし修正もされていくんだと思います、というかそうだと信じてます(震) 少なくとも設定項目は今後充実していくはず…。
でもでも開発版にせよ公開したってことは開発スタッフ的にはある程度目処が立ったと判断したってことですかね?だとしたら正式版も悲しいことになる予感…。

とりあえず今後は12.15を使いながら様子見、並行して乗り換え先ブラウザを探すという方針でいこうと考えています。Opera最強伝説の終焉も近いかもしれない。
細かく弄れないOperaならOperaである必要はないのだよ。

2013年5月4日土曜日

嶽本野ばら『祝福されない王国』(新潮文庫)

昔、世界の端に海に囲まれた王国があった。その国では王の統治の下、全ての国民が幸福に暮らしていた。だが、かつて彼の国では不公平が蔓延し、諍いが絶えず起こっていたのだ。この状況を打開すべく、全国民が出した答えは「平等」。しかし、行き過ぎた平等の結果、王国にもたらされたものとは……。現代アートの鬼才・藤本由紀夫と人気作家がコラボレーションした九篇の黒い寓話集。

上に引用したのは新潮文庫『祝福されない王国』裏表紙の解題。 ここでは「寓話」という言葉用いられているが、著者の嶽本野ばらは自身による文庫版あとがきにおいてこれを否定している。曰く、

いわば寓話 ―― 何かいろんな暗示や、一度読んだだけでは窺い知れぬ奥行きがあるのでしょうね ―― この作品は ―― といわれたけれども、そんなにたいしたものはない。奥行きがないとはいわないけれど、あってもせいぜい金貨一枚程のものだから、まぁ曖昧三センチ ―― というところだろう。寓話ともいいかねる。教訓も秘めたる主題も殆んどないからである。

とこんな感じだ。だが本当にこの作品は寓話では在り得ないか。確かに著者である嶽本野ばら本人がそう主張する以上寓話として書かれたものではないのだろう。しかし実際に読んでみて感じたのは金貨一枚とは思えぬような奥行きだった。この作品は昔話的な平易な文章の中に確かに読者に何かを感じさせ、考えさせる力を持っている。ここに著者の意図と読者が受ける印象にずれが生じる。


少し話が飛躍するが、つい最近まで私は作者の意図こそが作品解釈の絶対基準だと考えていた。しかし最近では読者の側の解釈に興味を惹かれることが多くなった。一般的にテクスト論と言われるものに近い立場だろうか。今回の場合だと、たとえ作者が意図していなかろうと読者によって寓話的だと解釈される限りそれは寓話なのである。そんなことをとりとめもなく考えながら思考はさらによくわからない方向へと進み、テクスト論はフッサール現象学における認識の問題に近いのではないかなどと考えだす。つまり作品は作品としてそこにあるのではなく、読者によって読まれる(=認識される)ことによって初めてそこに存在させられるものと言えるのではないだろうかなどと。

2013年5月2日木曜日

シェイクスピア『マクベス』(松岡和子訳、ちくま文庫)

シェイクスピアの『マクベス』を読んでの感想、というか思ったことを少し。

有名な作品ではあるが恥ずかしながら初読。シェイクスピアの作品ということでも『ハムレット』を昔読んだきりなので2作品目ということになる。何故これまで読もうとしなかったのだろうかと不思議に思いつつ読んだわけだが、昔『ハムレット』を読んだ時の感覚を思い出して納得した。要するに面白くないのである。

『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』の4作品はシェイクスピアの中でも四大悲劇と呼ばれ内容まで含めて有名だ。当然私も大体のあらすじは知っている。あらすじを知っていたからといって全く面白くなくなってしまうかというとそうとも限らないのだが、ここで外国文学つまり翻訳文学であるということが問題となってくる。

シェイクスピアの面白さの多くはその言葉遊びにある。これは本文に付された訳注を見れば明らかである。しかし翻訳によってそれらは失われてしまう。これは訳の問題ではなく翻訳という行為そのものが抱える宿命だ。そしてシェイクスピア作品の場合はその影響が大きい。それは戯曲という形式からくる描写や構成の簡潔さ、そして内容も含めて有名すぎるということに拠るのだろうと思う。とにかくそうした事情から翻訳されたシェイクスピアを読むと、まるであらすじをなぞっているだけのような感覚に陥るのである。

そんな文句を言うのであれば英語で読めばいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、それもどこか的外れな意見のように感じる。確かに私たちは英語教育を受けてきている。辞書を片手に原文を読むことも出来るかもしれない。しかしそれはイギリス人が英語を読むのとは圧倒的に違うのである。言語感覚であったり文化的背景の理解だったりという点で私たちはイギリス人に敵わない。もっと言えば現代のイギリス人にとってのシェイクスピアと、シェイクスピアが生きた当時のイギリス人にとってのそれとの間にも天と地ほどの差がある。それは日本人にとっての源氏物語などを考えれば明白なことだ。

ではこのように文化の違いなどによって本来の面白さが失われてしまった文学作品に価値はないのだろうか。私はそんなことはないと考える。古い作品や文化の理解が失われた作品たちはそこに現代的、同文化的解釈を挟むことで時と文化を超え、再び僕たちのもとで復活を果たす。それは作品そのものであったり翻案小説という形をとったり様々だが、そのように時や文化の壁を超えられる作品というのが本当に力のある作品であり、過去から未来へと読み継がれていく作品なのだろうと思う。