2015年2月3日火曜日

「記憶の場」とジャンヌ・ダルク

 久しぶりにブログでも書いてみようと思い立ったはいいが肝心のネタがない。ということでHDDの中を漁っていたら、何年か前に大学の授業でピエール・ノラの『記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史〈第3巻〉模索』を読んだときにジャンヌ・ダルクについて書かれた項を僕がまとめたものを見つけたので引っ張り出してみました。曰く、


【序】

  • アナトール・フランス「オルレアンの乙女の記憶を時代を追ってたどってみるのは、たいへん面白いにちがいない。だが、それには一冊の書を丸ごとあてねばなるまい」 
→ジャンヌ・ダルクに関する膨大な資料群(オルレアンのジャンヌ・ダルクセンターに蒐集された8500冊以上の本、数千のスライド、数百の新聞ファイル、長編映画のフィルム等)=死後もたえず人々の口にのぼっていたことは明らか

  • ジャンヌを扱った文学や芸術や歴史書は豊富に存在する。 
=教科書、通史、百科事典、映画、演劇、音楽、(物語・エセー・小説・伝記・詩などあらゆる種類の)文学

  • ジャンヌダルクの名は19世紀以降、ミネラルウォーターの名からカトリック青年団のサークル名や政治結社名まで、あらゆるところで用いられた。 
→過去から現在までの多様な表現による有名なジャンヌの行為の定型化されたイメージ(内面の声に耳を傾けるジャンヌ、オルレアンを解放するジャンヌ、ルーアンで死刑するジャンヌ)

  • ジャンヌの記憶はフランス中に満ちあふれている。 
butジャンヌの記憶は、時間的にも空間的にも断絶している。
→断絶のもとにはイデオロギー上の争点=ジャンヌの記憶は中立的なものではなく、分裂をもたらし、論争の的になり、政争の具にされた記憶


【変動する記憶】

<ⅰ時間による変化>
ジャンヌ・ダルクの死後の歴史には対照的な二つの時代がある。そしてその前にジャンヌの同時代人から得た人気についても言及する必要がある。

○15世紀=ジャンヌの同時代人たちの言説
ジャンヌの事跡は、フランス人や外国人の手による年代記の形で当時の著作物に書き記されたが、この時点ですでに矛盾する物語があった。親国王派のアルマニャック派に好意的なものもあれば反国王派のブルゴーニュ派に好意的なものがあるという具合である。そのほかこうした年代記の刺激を受けて記された1461年の『オルレアンの攻囲日誌』のような回想記や『オルレアン攻囲の聖史劇』のようなジャンヌを称揚する芸術作品も多く現れた。


○16世紀~18世紀 =あまり称えられることはなくむしろ中傷にさらされた時代
  • 16世紀 
反国王派のブルゴーニュ派の伝統がアルマニャック派に抗して生き続けた。ギヨーム・デュ=ベレーの『戦争の事実に関する教訓』ではジャンヌはフランス宮廷の単なる道具でしかなかったかのように描かれる。フランス語で書かれた最初の国民的な歴史とみなされる著作であるジラール・デュ=エランの『フランスの紛争における慈悲について』もジャンヌの使命と彼女の純潔の双方を疑ってかかった。

  • 17世紀 
古典古代をも半年、中世を野蛮とみなした17世紀の人びとにとってジャンヌは「ゴシック的すぎる」存在であった。そのため『オルレアンの乙女あるいは解放されたフランス』という叙事詩が作家たちの物笑いの種となり、ボシュエは『フランス史序説』の中でジャンヌが耳にした「声」に言及することなく、ジャンヌに対して無関心を貫いた。このようなジャンヌに対する懐疑的態度からは17世紀におけるジャンヌがもはや才人の関心を引く存在でなかったことが分かる。

  • 18世紀 
18世紀にはのちに冒涜的と評価されるヴォルテールの『オルレアンの乙女』が繰り返し読まれた。ヴォルテールはその詩の中でジャンヌの名声を失墜させ、『哲学辞典』ではジャンヌを霊感を受けたとあつかましくも信じ、偉大な役割を演じさせられた「哀れな愚女」と表現した。こうした評価は中世全般に向けられた侮蔑の所産でもあり、多くの人の共有するところであった。


○19世紀以降=広範な賞賛を勝ち得た時代
  • 19世紀 
19世紀が「ジャンヌ・ダルク」の世紀となるには中世を見直そうとするロマン主義運動・愛国心・ナポレオン没落後のカトリックの復活という三つの要素がからんでいた。これらの動きの中でミシュレの『ジャンヌ・ダルク』が生まれ、ジャンヌ・ダルク物の祖型となると共に、祖国を啓示するジャンヌは燦然と輝く地位を約束された。この「侵略を受けた者たちの聖女」というイメージはフランス国民を創出する神話として必要とされ、アンリ・マルタンはジャンヌを「民族の救世主」と名付けた。そして信仰篤いジャンヌという像を広める通俗的な著作も増えていった。また、こうしたジャンヌの記憶の再構築には史料に立脚する歴史研究の方法が確立され、『有罪判決裁判』『名誉回復裁判』という形でジャンヌの裁判資料が相次いで刊行されたことにも起因している。こうして19世紀末には高まりつつあるナショナリズムとともにジャンヌ熱が最高潮に達した。

  • 20世紀 
20世紀にはジャンヌのイメージについてそれまでもあった乖離が決定的なものになった。その理由は学問的な歴史が史料研究によってさらに鍛えられたこと、敵対しあう党派がいずれもジャンヌの神話を利用しようとして、歴史と神話の距離が開いたことにある。党派の間ではナショナリズムの諸潮流が、国民的和解のシンボルとしてジャンヌを占有する傾向にあり、20世紀後半には共和派の愛国心が弱まり、極右のネオ・ナショナリズムがジャンヌのシンボルを引き継いだ。


<ⅱ 場所による変化>
時間の経過が、ジャンヌの記憶に強弱や濃淡の変化を及ぼすことはしばしばあった。さらには記憶が翳りを見せるときもあった。しかしその記憶は、ある特定の場所では、そうした変化や翳りにほとんどつねに逆らった。
→オルレアン、ドンレミ、ルーアン、これら感謝の場所、崇拝の場所では、ジャンヌ・ダルクの記憶はつねにたえることなく守られた。フランス人のあいだでは内部争いがたえなかったが、熱情と民間伝承とが彼女のイメージを保った。

  • オルレアン 
ジャンヌによるオルレアン解放は住民たちに熱狂的に歓迎され、オルレアンでは毎年この勝利の日を祝う祭典が執り行われるようになった。これは16世紀には宗教戦争によって一時中断されるが、再開されますます充実した祭典となった。その後も1793年に革命家によって宗教的、君主主義的という理由で中断されるなどたびたび問題となるものの続けられてきて、1920年にジャンヌがオルレアンを解放した日を国民の祭日とする法が可決されるとオルレアンの祭典は主要な行事であることが保障された。また、オルレアンでは毎年の祭りに加え、ジャンヌの記念像が造られ、ジャンヌが滞在したオルレアン公爵家の出納長ジャック・ブーシェの家であった「乙女の家」の保存にも強い関心を抱いた。このようにオルレアンではジャンヌをまず市の解放者として、ついで市の保護者として、考え続けてきた。

  • ドンレミ 
ジャンヌの故郷の小教区ドンレミにある「乙女」の家は15世紀以降巡礼の地となった。ジャンヌの家族、すなわちジャンヌの兄弟の子孫はジャンヌの記憶を絶やさないように努め、村人たちも有名な同郷人の記憶を大事にし、若者は四旬節中の第四日曜日にはジャンヌが「声」を聞いた「妖精の木」の下に赴いた。16世紀末にはその近くにオルレアンの乙女に敬意を表したチャペルも建設された。18世紀にはジャンヌの家は「フランスにとって、とりわけヴォージュ県にとって、偉大で輝かしい記憶と結びつく歴史的な記念建造物」としてジェラルダン家からヴォージュ県に売却され「ジャンヌの家」の保存が滞りなく行われることとなった。共和派とカトリック王党派との抗争の時にドンレミはそのとばっちりを受けることになったが、その間も村への巡礼は絶えることがなく、新しい聖堂も建設された。

  • ルーアン 
ジャンヌの最後の地であるルーアンでは1456年のジャンヌの名誉回復後、金箔が張られた青銅の十字架が、ジャンヌが火刑に処された場所の近くに建てられた。16世紀の初めにはオルレアンの乙女の像が、広場にある噴水を飾った。この噴水が壊れた後1754年には、それに代わる記念物が造られ、そこにジャンヌの新しい記念像が添えられた。今日再建されたヴィユ=マルシェ広場にもジャンヌの記憶を想起させるものがいくつかある。サント=ジャンヌ=ダルク教会の周辺には「記憶」の回廊が建てられ、1431年の火刑の場所には高さ20メートルの名誉回復の十字架が立っている。ジャンヌダルク記念館も造られ、ルーアンは定期的にジャンヌを顕彰する舞台となった。


【争われた記憶】

ジャンヌの騎行と彼女の劇的な死のあと、数世紀にわたって論争が続いた。その論争を煽り、そこに利益を見出したのは党派心である。それらのジャンヌを占有しようとする思想潮流の中で引き合いに出されるジャンヌからは、実際のジャンヌが持っていた複雑性が剥ぎ取られ、それぞれの潮流がジャンヌに見出す意味が一つだけになっていった。
=歴史的人物のジャンヌは神話化され、彼女の一生は寓意となり、その軍旗と剣は対立する党派のシンボルとなった。
→こうしてジャンヌの記憶は、19世紀を通して3つの表象に大きく分かれた。それらは時には相次いで誕生し、時には同時に存在していた。その三大表象とは「カトリックの聖女」「愛国的民衆の化身」「排他的ナショナリズムの守護聖人」である。

<ⅰカトリックのモデル>=「カトリックの聖女」
カトリックにおけるジャンヌのイメージはカトリックと反教権派との争いの中で作られていった。1920年にジャンヌ列聖にはローマ教会の政治的行為が見られる。その頃教皇庁は第一次大戦戦勝国のフランスとの外交関係再開を課題としており、ジャンヌはそのために利用されたと考えられる。教会はジャンヌの「神の使命」にも「声」にも結論を下さず、ジャンヌを殉教者ともしなかった。彼女はその純潔と模範的な美徳によって聖人となったのであり、この普遍性によりジャンヌは国民の特定部分とだけ同一視されることを免れた。しかし愛国者、ナショナリストとなったフランスカトリックは、宗教聖人としてのジャンヌと国民的聖人としてのジャンヌを混同しがちであった。

<ⅱ 共和派のモデル>=「愛国的民衆の化身」
ジャンヌは王権の擁護者であり、歴史における超自然的なものを示す存在であったため、啓蒙の世紀に依拠する共和主義者をただちに満足させるものではなかった。そんな中でミシュレがジャンヌのイメージを一新した。その目的はジャンヌをヒロイズムと民衆の良識が入り混じった範型とすること、特に国民感情の創始者とすることであった。第三共和政の初期にはジャンヌに対する共和主義者の態度が二通りあり、一つは教会と王政からロレーヌの愛国者の記憶をもぎ取ろうというもので、もう一つはジャンヌを党派闘争を超越する和解的なシンボルとするものだった。このように19世紀を通して構築された共和派モデルは、多様な機能を帯びていた。

<ⅲ ナショナリストのモデル>=「排他的ナショナリズムの守護聖人」
右翼から来たキリスト教的愛国派と共和派の改憲論者という二つの潮流が合流して出来たナショナリズムにおけるジャンヌは、反ユダヤ主義と結び付き、「ユダヤ人の放浪性・都市性とジャンヌの農村性」「フランスに仕え、統一したジャンヌとフランスを裏切り、解体させようとするユダヤ人」といった対立構造を生み出した。そしてユダヤ人からフランスを守る国民的聖女としてジャンヌを崇拝した。ナショナリストはジャンヌの中にフランスそのものと、「人種」の美徳を見出したのである。

⇒これらの表象は初期には古いフランスと新しいフランスの争い、すなわち、カトリック君主制から生まれたフランスと革命的民主主義から生まれたフランス都の途切れることのない紛争が、「天国」からの使者という神話と民衆の娘という神話を対峙させ、「教会」の宗教と「祖国」の宗教を対峙させた。しかしここ100年の争点は、第三共和政が勝利したことで、すっかり変わってしまった。新右翼のイデオロギーには、カトリックの遺産と国民的な救世主信仰、反ユダヤ主義的な大衆迎合主義、反議会主義と反主知主義などが混じり合っていた。この新右翼はジャンヌの記憶の「引き継ぎ」を行い、ある程度は成功したが、それは完全なものではなかった。



【記憶の機能】

20世紀に入って、ジャンヌ・ダルクについて歴史研究が進展し、ロレーヌの乙女とその時代に関する新たな著作が増えたにもかかわらず、政治家と政党は、フランス人の団結と党派的な主張という相反する二重の目的で彼女を利用した。

  • 結集の機能 
1914年に成立した挙国一致の神聖同盟のもとではジャンヌを旗印にフランスは結束し、ドイツ軍兵士と対峙することになった。そして1918年の勝利によって遂に共和国とジャンヌ・ダルクの和解が成立し、ジャンヌの日が制定された。こうしてジャンヌは対外危機や20世紀の様々な危機に対してフランス人の結集や団結や連帯が求められる際のよりどころとなった。しかしこの結集の機能もいつまでもは続かず、1979年の普通選挙によるヨーロッパ議会の最初の投票日の直前に行われた超国家的な演説では再び、ジャンヌの記憶が党派的な政争の具とされた。

  • フランスについてのある理念 
ジャンヌの記憶は主として、ジャンヌの実際の歴史を歪め、戯画化した党派闘争によって守られてきた。しかしそれでも、伝説となったジャンヌの武勲はジャンヌをめぐる論争とジャンヌの争奪を超えてフランスに関する一つの理念を人心に定着させた。その理念は神話とも歴史的真理ともつかず、常に関連する三要素によってつくられてた。その三要素とは「フランスは常に分裂していた」「フランス史は奇跡に満ちている」「救世主」である。そしてジャンヌのイメージが争奪の的となってきたのは彼女がキリスト教と革命という二つの文化を具現していたからであり、この二つの文化こそ、独特のアイデンティティをフランスに与えるのに寄与してきたものである。これは詩人アラゴンが「フランス的特性」として「フランスにはキリスト教と唯物論という二つの偉大な伝統があることが知られている。それらの伝統が非和解であると、どうしてわれわれは思うのだろう。フランスが危機にさらされるときには、二つの伝統が和解するのがわからないのか」と述べるのと同じく、フランスは「ときには分散し、ときには収束する二重の系列であり、単一にして分割可能なロレーヌの乙女である」ということが出来る。


…とまあこんな感じたったらしい。ジャンヌ・ダルクは人生そのものも劇的なのだろうけど、死後の享受の在り方まで劇的だったことがわかりますね。個人的に「記憶の場」という考えは面白いと思った記憶があるのでもう一度読み直してみたいです。

2013年9月13日金曜日

Firefoxの新しいタブ画面をカスタマイズです!!

  私は基本的にWindowsユーザーなのですが、最近Windows機の調子が悪いということで、もっぱら古いノートパソコンに入れたlinux環境を使っています。そのlinux環境についてもそのうち記事にしたいと考えているのですが、今日のところはFirefoxについて。

  もともとOperaユーザーの私ですが、linux版のOperaはいまいち使い難い。というかどうやらiBusとの相性が悪いみたいで検索ボックス内で日本語入力しようとするとクラッシュ多発してストレスが溜まる・・・。なのでlinuxではOperaを諦めてFirefoxの環境を整えてみました。この記事はそのメモ。とは言っても、FirefoxのカスタマイズについてなんてGoogle検索すれば山ほどヒットするわけで・・・、今さら二番煎じの記事なんて需要がないと思うのであまり検索上位のブログなどで言及されていない(私が探した範囲では見つからなかった)部分について書きます。
それがずばり、「新しいタブページ」のカスタマイズ。それもアドオンなどを使わない方法の紹介です。アドオン使えばいくらでもやり方あるんだろうけど、、、アドオン入れ過ぎると動きが重くなるからできる限りアドオン使いたくないんですよねぇ。

  まず前提として新しいタブページっていうのはFirefoxで新しいタブを開くと出てくる画面のことで、アドレスバーにabout:newtabと打ち込むことでも表示できます。デフォルトでは3×3の枠が用意されていてよく訪れるページのサムネイルが表示されるようになっていますが表示するページをピン留めして固定することもでき、そうするとOperaのスピードダイヤルみたいにも使える。















  これを起動時に表示するホームページに指定しておくと、WebページをホームページにしておくよりWebにアクセスしないぶん起動が速くなるので便利ですよ。しかし、、、私はブックマークバーを常時表示させているので実際スピードダイヤルって必要ないんですよね。ただ何もピン留めしていないとよく行くページとかが勝手に表示されちゃって見た目的によろしくないです。右上にあるボタンをクリックすると真っ白ページに切り替え可能だけど、ホームページが真っ白っていうのも味気ない気がする。そこで今回のカスタマイズですよ。まずは見栄えを悪くしている元凶である3×3の枠を排除します。と言っても全部は消せません。でも1つにすることは出来るのですね。以下手順。

  1. アドレスバーに"about:config"と入力して設定画面に入ります。なんか警告が出ますがそのまま進みましょう。
  2. 検索ボックスにて"newtab"を検索。いくつかヒットしますがその中で"browser.newtabpage.columns"と"browser.newtabpage.rows"の値をそれぞれ"1"にする。

以上、2ステップで新しいタブページが下の画像のようになります。

  これでだいぶ見栄えは良くなりましたが、まだ味気ない感じです。そこで次のステップとしてここに好きな画像を表示させちゃいましょう。以下手順。
  1. どこかのWebページを開くかお気に入りから枠内にドラッグアンドドロップするかして枠内にサムネイルを表示させます。(お気に入りから追加する場合は、ドラッグアンドドロップ後にクリックしてサイトを訪れないとサムネイルが作成されないかも。)
  2. ファイルマネージャでサムネイル画像を探します。私の環境(linux mint)では"/home/ユーザー名/.cache/mozilla/firefox/mwad0hks.default/thumbnails"の中にありました。WindowsならたぶんAppData内のFirefox関係のフォルダにあると思います、確認してませんが多分・・・。
  3. お目当てのサムネイル画像のファイル名をコピー、サムネイル画像は消しちゃって大丈夫です。
  4. 自分が表示させたい画像をさっきのサムネイル画像のファイル名にリネームしてこのフォルダに持ってくる。この時、画像のファイル形式が".png"じゃないと失敗するので注意。
  5. これで自分の好きな画像が表示されるのですが、このままでは間違ってサムネイルが更新されてしまうことがあります。そこで画像ファイルのプロパティで権限を「読み取り書き込み可能」から「読み取り可能」に変更します。(Windowsでも似たような項目があるはず。)

以上の手順をやれば下の画像のように自分のお気に入りの画像が表示されたホームページが出来上がります。


  画像をクリックすればもとになったサイトに飛べるので、自分が一番頻繁に訪れるページにしておくと何気に便利かも。


  今回紹介したのはブラウジングに役に立つものではないですが、見た目は大事ですよね!ホームに戻るたびにお気に入り画像が表示されればモチベーションアップ間違いなしです!!是非みなさんもやってみてください。




追記。Firefoxのデフォルトでは最後のタブは閉じることができないようになっています。この挙動を変更するには"about:config"内の"browser.tabs.closeWindowWithLastTab"の値を"faulse"に。Operaのように最後のタブを閉じた時に新しいタブを開くようになったりします。以上、ちょっとした小技でした。

2013年8月5日月曜日

艦隊コレクション夏のイベント

  7月の頭くらいから艦隊コレクションをやっています。大体1ヶ月やり込んで難関と言われているマップ2-4「沖ノ島海域」をクリアしたところで、8月1日から期間限定イベントが始まったので出撃してきました。結果・・・昨日8月4日時点で全4マップ中2マップ目まで攻略完了、3マップ目は現在のレベルではキツそうな気がしています。ここではそんな攻略の様子をご紹介。

  まずはE-1「警戒線を突破せよ!」です。ここはご新規さんでも攻略可能と公式告知されていたとおり、特に難しくありませんでした。構成は戦艦、正空、軽巡、駆逐×3の6隻編成で平均レベル35といった感じ。まあ一番高レベルの赤城さんがLev45で今回のイベントのために慌てて育てた由良がLev22とかなりレベルにばらつきはありましたが、このマップはそれほど高いレベルは必要ないと感じました。それよりも構成が重要かと。ボス戦では敵旗艦の潜水艦を撃沈させなくてはならないので対潜水艦用の軽巡or駆逐を4隻、火力担当として索敵による回避命中上昇と開幕攻撃用に正規空母を1隻、砲撃戦を2巡回すために高速戦艦1隻という形が一番安定すると思います。最初のうちは対潜水艦用に3隻当て、空母をもう1隻連れていっていたのですが、それだとボスが潜水艦4隻+他2隻のパターンの時削りきれないことがありました。軽空母ではなく正規空母にしたのは道中での中破撤退を避けるためになるべく装甲耐久が高いほうが良いと考えたのと、敵の戦艦など高火力艦を手早く処理して被ダメージを減らすためです。あと、低速艦が混ざると艦隊全体の回避に多少影響があるらしいということで戦艦を高速戦艦にしてみました。駆逐艦を多く連れている時は少しでも回避を上げておきたいですからね。ちなみに軽巡と駆逐艦には全艦爆雷を装備させました。爆雷が有ると無いとでは潜水艦へのダメージが随分変わりますので。ソナーは開発が間に合わなかったので2隻分しかありませんでしたが・・・。

  そんなこんなで無事E-1を突破し、新艦むすの伊168をゲットしました。














  スク水セーラー服とか可愛いですね。ドロップではなくクリア報酬ということで確実に手に入るというのが嬉しいです。

  そして舞台はE-2 「敵洋上戦力を排除せよ!」へ。この海域ではボスの耐久ゲージ?が時間回復するので攻略は一気に行う必要があります。高速修復材の大量消費時代到来デース。一応70個ほど備蓄があったのでそのまま突撃。からの・・・・・・・・・・・・・・・・猫・・・・・・襲来orz。2連続でボスに辿り着く前にサーバーエラーで再読み込みという(泣)時間帯が悪いと悟り一時休戦、深夜に再出撃することにしました。

  そして深夜2時過ぎたころ、再び進撃を再開しました。さすがにこの時間になれば猫の心配は少ないはず。攻略編成は潜水、戦艦×3、正空×2の6隻編成にしました。いわゆる脳筋編成に限りなく近い編成ですね。潜水艦を入れた狙いは雷巡、軽巡、駆逐の3種の攻撃を全部受けてくれるという特徴を生かして他の艦への被害をなるべく減らすというもの。軽巡や駆逐艦の攻撃など戦艦や正規空母クラスになれば大して痛くはないのですが、まれにクリティカルを貰いますし塵も積もればなんとやらですよ。イムヤちゃんのおかげで少しは安全にボスまで辿り着けたような気がします。で、2時間以上の戦闘の末にゲージを削りきり旗艦を撃沈。見事E-2を突破しました。E-2突破までの総出撃回数は14回。内訳は猫2、鉄島4、途中撤退2、ボス戦6でした。使った資源は燃料弾薬が3000~4000、鉄2000弱、ボーキ2500程度。バケツは20個くらい使用したようです。けっこう少なめで済んだほうなのかな?支援艦隊は旗艦を沈めなければならないゲージ破壊時だけ決戦支援を使いました。そこまでダメージは出ないみたいなのでゲージ削る時まで出してたら資材が勿体ない気がしますのでゲージ破壊時に保険として出す程度で十分だと思います。むしろ支援出さなくても何とかなるレベルの艦隊編成じゃないと突破は難しいかも。以下、突破時の編成SSを貼っておきます。














  イムヤちゃんは耐久装甲が低いですがレベルを上げれば思ったほどダメージを受けませんね。けっこう避けてもくれますし、ボス戦まで大破せずに辿り着くことも多かったです。旗艦なので大破でも進むんですけど・・・。あとイムヤちゃんの育成に付き合ったおかげで翔鶴が赤城さんを抜いて最高レベルになりました。正規空母はクエストで貰った赤城さんと建造で奇跡的にできた翔鶴の2隻しかいない(あまりにも翔鶴が可愛かったのでそれ以来建造で空母レシピ回してない)ので大事に育ててます。赤城さんは大破で入渠12時間コースですねw空母の艦載機は翔鶴に紫電改二、流星、流星、天山。赤城さんには天山、天山、烈風、彩雲を積んでいました。戦艦3隻は安定の金剛型姉妹にしました。長門型を持っていない上に航空戦艦は火力的にちょっと落ちますからね。そんな金剛型ネームシップの金剛ちゃんは我が鎮守府の大エースです。2-4突破時には敵旗艦のフラグシップ戦艦を一撃のもとに葬ったのデース!!もちろんE-2でも大活躍デース!!榛名は金剛姉妹の中で一番早く出会ったため結構長い付き合でレベルも相応に高くなっています。比叡はついこの前ドロップしたばかりでE-2攻略に際して火力不足を感じたため急遽育てました。そのわりには、金剛榛名に比べてレベルが低いためか、ミスを連発してフラストレーションを溜めてくれやがりましたが・・・。

  ちなみに2-4攻略時はイムヤちゃんと比叡のところに潮たんとぜかましを入れた戦2空2駆2というバランス編成だったのです。砲撃戦で討ち漏らしたエリート戦艦2隻を雷撃で撃沈させてのS判定勝利は良い思い出です。4連装酸素魚雷を2本積んだ駆逐艦の雷撃クリティカルと夜戦カットインはかなりえげつないオーバーキルを見せてくれるのでオススメです。以下SSは2-4突破時のものです。














  クリア後の被害状況をみると難易度自体は2-4とE-2はそう変わらないのではないでしょうか。少なくとも2-4をある程度羅針盤に悩まされつつ攻略した人なら突破可能かと。まぐれ当たりの低レベルで2-4突破した人からすれば難しいのかもしれませんが・・・。

  と、まあこんな感じでイベントマップもE-2まで攻略完了したわけです。ちなみにドロップはひたすら駆逐艦を引いています。こんなの絶対おかしいよ!ってくらいに駆逐艦ばっかり出るわ出るわ・・・。E-1の道中で大井さんがドロップしましたがそれ以外の道中ドロップはほとんど駆逐艦。那珂ちゃんダヨー!も出ましたが欲しい娘は全然こなくて嫌になっちゃいました那珂ちゃんのファンやめます。特に不知火と叢雲に好かれていたらしくなんかすごい出ました。道中には阿武隈とか鬼怒とかいるらしいんだけど・・・。と、そんなこんなでドロップには期待できそうにないなぁなんて思い始めた矢先、E-2ボス4回目くらいだったでしょうか、新艦むすの熊野ちゃんドロップ!














  めちゃくちゃ可愛い!!!!そして悟った。ここまで道中のドロップ運が悪かったのはすべてこの娘に会うためだったのだと。それにしても可愛いですね。この熊野ちゃんドロップのおかげでたとえこの先E-3が攻略できなくても今回のイベントは成功だったと言い切れます。E-3クリア報酬の鈴谷より熊野ちゃんのが圧倒的に可愛いですもの!

  で、こんな感じに艦これイベント楽しんでいるわけですが、今後についてはちょっと悩み中。E-3の敵は強そうですし資源も割とカツカツなので最高レベル48という現状では突破は難しいかなという感じなので、E-2を周回してボスドロップのまだ出会えていない新艦むす伊58と阿武隈鬼怒瑞鳳といったレア艦むすを狙うべきか、レベル上げをしながら資源を貯めてE-3突破を目指すべきか。なんにしてもサーバートラブルが相次いでいるせいでイベント期間が延長するらしいので、まだしばらくは楽しめそうです。

2013年7月8日月曜日

2013年夏アニメ1話雑感

夏アニメが続々と始まって大体出揃った?感じなので簡単に1話のレビューというかなんというか・・・とりあえず1話を見てみたのは17作品です。
〈物語〉シリーズ セカンドシーズン
きんいろモザイク
幻影ヲ駆ケル太陽
犬とハサミは使いよう
戦勇。 第二期
たまゆら~もあぐれっしぶ~
Free!
ローゼンメイデン
恋愛ラボ
帰宅部活動記録
サーバント×サービス
戦姫絶唱シンフォギアG
特例措置団体ステラ女学院高等科C3部
ロウきゅーぶ!SS
ハイスクールD×D NEW
てーきゅう
有頂天家族

以下感想。

【〈物語〉シリーズ セカンドシーズン】
まあ安定のシャフト×西尾維新で特筆することもないでしょう。あ、原作は未読です。ガハラさんってあんなキャラだったっけ?これは1話観る前から視聴確定してました。

【きんいろモザイク】
これはロリぃ!想定外のロリで始まって驚いたけどロリモードは1話だけ、高校生になっちゃうんですねwそれでも可愛いから視聴決定かな?高校生にならないで欲しかったwww

【幻影ヲ駆ケル太陽】
オリジナルアニメ?らしい。よくわからない話だった。キャラデザは好みが分かれそうだけど私は嫌いじゃない。あやねるが声やってる子はいきなり死んじゃってもう出ないの?!オリジナルだしとりあえず3話くらいまでは観る。

【犬とハサミは使いよう】
いまいち…いまいち。なにがって全体的に好みじゃなかった。多分もう観ないです。

【戦勇。 第二期】
あいかわらず勇者の扱いヒドいwwwもちろん視聴確定。短いしね。30分アニメなら迷うところだろうけど一瞬で終わるしwww

【たまゆら~もあぐれっしぶ~】
これも視聴決定してるので。ぽってぽってぽって♪癒されます。1話は主にhitotoseのおさらいだった。2話からの展開に期待。まぁゆるゆるやってくれればそれでいいので。

【Free!】
今季最大の期待作にして最大の不安要素でもある。いきなりの水着エプロン(男)には草不可避www主人公君は常に水着着てるんだね。蒸れそう(汗)氷菓の温泉回といい京アニは男の裸にこだわりを持ってる。男メインだけど女キャラも可愛いし期待。視聴確定だと思う。

【ローゼンメイデン】
1期も2期も観てない原作組です。3期の作画なら観てもいいかなって思った。1話は物語序盤の振り返り。かなり圧縮してたし原作組とか1期2期視聴組にはいらない回だったかも?原作のどこまでやるのか気になる。まかなかった世界だけかな?まいた世界戻るなら観たい。めぐに踏まれるところを是非アニメで!!!でも原作集めてるし別に観なくてもいいかな。悩み中。

【恋愛ラボ】
キルミーが帰ってきた!!?!やすなの声の人だよね。タイトルから想像してたのとは違うギャグ路線で非常に楽しめました。ネットで調べたところによると別に百合アニメってわけじゃないらしい。視聴確定です。

【帰宅部活動記録】
原作もちょっと読んでたのでどんな話かは知ってました。割と自分のツボにはまることも。とくにストーリー性があるわけじゃないから気が向いたときだけ観ればいいかな?

【サーバント×サービス】
まったくノーマークだった作品。予想外に笑えた。でもこれも気が向いたときだけ観ればいい感じのやつだと思いました。

【戦姫絶唱シンフォギアG】
これどうしよう…。1期はなんとなく最後まで観ちゃったけどそこまで夢中になるわけでもなく…。なんというか楽しみ方がわからないアニメ。水樹奈々×日笠陽子のデュエット曲は格好良かった!!今後の視聴は要検討。

【特例措置団体ステラ女学院高等科C3部】
サバゲーって何気に人気あるのか?少女漫画にも女の子がサバゲーするやつあった気が…。小学生のころ私も学校の裏の森でやりました。面白そうなのでとりあえず視聴継続してみます。

【ロウきゅーぶ!SS】
小学生は最高だぜっ!!ってEDwおいwwwEDの衝撃が強すぎて本編の印象があんまりないのですがorz1期が良かっただけに2期に不安が残るかも。スタッフがどこまで自重できるかが鍵。あんまりエロ方面にもってかれてもなあ。これは視聴継続で様子見でしょう。

【ハイスクールD×D NEW】
あいかわらずひどいアニメですねwww地上波で観たらOPから本編、アイキャッチ、EDと規制だらけになるんじゃないか?ただのエロアニメと思いきや意外と熱い展開とかあったりするのは1期観てわかってるので今後も視聴したいと思います。

【てーきゅう】
13話になってたし分割2期で新アニメ扱いではないのかな?声優ってすごいですよね。これは短いので空き時間にぱぱっと観て笑える良作です。

【有頂天家族】
森見登美彦原作なので安心感はある。原作は未読。提供が京都南座でビビるw弁天の声は能登さんですね、能登かわいいよ能登~。しばらく観続けてみる感じです。

と、こんな感じに簡単レビューをしてみました。ロボアニメが3作あってそれぞれ楽しめた春から打って変わって今季は日常系アニメが多い印象ですね。ただまあ、なんだかんだいって夏も楽しめそうで何よりです。

2013年7月7日日曜日

村上春樹の魔力

  今更ですがこの春、村上春樹の新作長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が発売されましたね。まあ私は読んでないんですけど…。もっと市場が落ち着いて本屋の平積みが無くなったら読もうかなって。この間本屋でもう書評本が出てるのを見てちょっとげんなりしたのはここだけの話です。

  さて今回は、世間が新作で賑わってる間にいくつか春樹作品を読み返してみたので、、、ちょっと村上春樹作品の魅力について語ってみようと思います。とは言うもののそんなにたくさんは読んでません。特に村上春樹が好きなわけではないのであしからず。ちなみに読んだことがあるのは初期三部作と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、あとは短篇がいくつかって感じです。見事に初期作品に偏ってますね。

  そんな私が考える村上春樹の魅力ですが、はっきり言ってよくわかんないです(笑)強いて言えば空気感というのでしょうか?文章自体はどことなく翻訳小説チックなところがあって個人的にそこまで好きではないです。読み易いけど…。内容に関してはよく言われてることですが、、、男がいて女と会って酒飲んでセックスしてうんちゃらかんちゃら、、、基本構造はこうですよねえ。深く読み込んでいけば違うのかもしれませんが、村上春樹を買ってる人100人いたら98人くらいは深くなんて読まないでしょうし。(言い過ぎかな?でも普段本なんてまるで読まない人が話題だからって買ってるんだろうな。じゃなきゃあそこまで売れないよね。)そんな春樹作品について面白い評があったのでご紹介。渡辺直己さんという方による村上龍の『五分後の世界』の幻冬舎文庫解説です。長いですが以下引用、、、

  一般に「文学」と呼ばれている作品には、読者とのかかわりにおいて、基本的に二種類のものがあるとおもっている。
  まず決して読者の主体を侵すことのない作品というものがある。読者は、それを読んだ後でみずから変わろうとはせぬし、彼らはむしろ、いっこうに変わりようのない自己の輪郭をそのつど、心地よく確かめるためにその本を好んで手にするのだ。たんに楽しませ、慰め、励まし、教えるだけでなく、それらは、時として驚かせ、混乱させ、おびえさせるかもしれない。だが、そのすべてが結局のところ、読者を安心させることを本質とする作品というものがあり、わたしはこれを「読物」と読んでいる。たとえどれほど悲惨なこと異様なことが描かれていようが、「読物」はたえず、変わらぬことの愉悦とともにある。ちょうど、適度な負荷が筋肉を鍛えるように、その悲惨さ、その異様さ、その驚きおびえは、読者に対して、彼らの主体の既知の輪郭をいっそう強固なものとする恰好の刺激たりうるように調整されてあるからだ。そうした調整ぶりに抜群の手腕を示すという意味で、たとえば村上春樹はたぶん、現代最高の「読物」作家であるはずだが、『ノルウェーの森』や『ねじまき鳥クロニクル』に深く魅了されたあなたはしかし、その後で、いままでとは何かまったく別のことをしようと欲したろうか?

  この解説は続いて「読物」の対極にあるものとして、読者の生の遠近法そのものを変えてしまう力のある作品を「小説」と呼び村上龍は「小説」家だとする。もちろんこれは村上龍作品の解説として書かれたものなのでハルキストからは批判もありそうだが、私的にはなるほどと思った。それにこう考えると世間でやたらと春樹作品が読まれているのも納得できる気がする。

  現代人はみんな自己肯定を欲しているのだ。革命とか戦争で世界を変えられる時代は終わった。民主主義や平和主義は絶望だと思う。倒すべき敵は不特定多数の大衆となり、選挙では根本的な変革は望めない。そして戦争は戦争というだけで否定される。これまで人類が作り上げきた中で、最も転覆させにくい社会システムが出来上がってしまっている。それでも学生運動なんかをやっていた世代はまだ、自分たちの力で何かを変えられると信じていたのかもしれない。そういうのが終わって、私たちの世代は結局世界は変えられないと悟ってしまった。変えられないなら肯定するしかない。ふがいない自分を。やるせない世界を。

  そうした自己肯定感こそが、私が村上春樹の魅力だと言った空気感の正体なのかもしれない。深く読み込まなくても、普段本なんか読まない人にも感じられるように空気感として感じられる自己肯定感。魅力というか魔力的ですよね。春樹作品は不思議と何回も読み返したくなるのもそういう理由?個人的に村上龍のほうが好きだけど龍のほうは何回も読もうとはなかなか思えないもん、疲れちゃうから。